足のトラブルと靴のお話し – フットケア・足の健康・足の美容 日本フットケア技術協会 JAFTA 足のトラブルと靴のお話し – フットケア・足の健康・足の美容 日本フットケア技術協会 JAFTA

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2018.3.1

足のトラブルと靴のお話し

フースフレーゲに携わっていると靴との関係は切っても切り離せません。
日本に靴が入ってきたのは今から160年位前の事。日本人で靴を最初に履いたのは坂本龍馬だという話も有名です。
中世ヨーロッパの靴の歴史を紐解けば長~い話になりますので、そこは割愛致します。

17世紀末から18世紀初頭にかけて男性貴族の間でハイヒールが流行しました。
これをファッションに取り入れたのがフランス国王のルイ14世で身長が160cmほどしかなかった王は威厳を示す為にハイヒールを履いたと言われています。
特に赤いハイヒールがお好みだったとか。

また、お洒落の為ばかりとは言い難い切実な理由もあったようです。
なにしろ当時のヨーロッパは下水事情が悪く、道も舗装されておらず雨が降れば道は泥んこ状態。諸説ありますが糞尿は窓から道路に捨てていたといいます。
どこまで信じて良いかわかりませんが、その為に日傘とハイヒールは必要だったとか。
悪路の為のパッテンという全体を高くするオーバーシューズもあったようです。

パッテン 18世紀 イギリス

男女とも、少しでも踵を高くして汚れないようにハイヒールが浸透していったのかもしれないですね。しかし当時は靴の作りやスタイルに男女の区別が殆どなく、おまけに左右の区別がなかったそうでなんと無謀で恐ろしい時代だったのでしょう

1、女性用ハイヒール
【1740-50年代】

2、男性用ハイヒール
【17世紀】

形状もなかなかのポインテッドトゥ。 これで左右同じとは…!
当然のことながら履けばあっという間に足が痛くなることは容易に想像できます。
案の定、魚の目たこ・外反母趾などに悩まされる事となったようです。
靴に左右の別が出来たのは、19世紀の終わり頃と言われていますのでかなり長い間
足の痛みに耐えていたと思われます。

そこで足の治療師という職業が18世紀初頭に生まれました。
フースフレーゲの始まりです。

 

引用元
(株)フィードバックCEOベーレ ルッツ
このフースフレーゲを日本に初めて導入したのはバン産商株式会社で1990年にスクールを
立ち上げました。
日本では多くの一般人が靴を履くようになったのは戦後からで歴史的にはまだまだ浅いですね。
近年では靴も飛躍的に改善され個々の足に合ったものを数あるブランドから選べるようになりま
した。
が、しかし、いまだファッションの観点からデザイン重視でチョイスされる方や、合う靴を見つけ
られない方、職業上の規則があり合わなくても履かなければならない方…等々
それに加えてサポートタイプのストッキングも、足のトラブルに拍車をかけていると思われます。
魚の目・たこ(鶏眼・胼胝)、外反母趾に恒常的に悩まされている方が非常に多いのを日々の施術の中で感じています。

靴を履く文化において、まさにフースフレーゲは不可欠と言えますね。

この仕事は人様に感謝して頂きながら対価も頂ける、得難い職業だと思いませんか?
昨今では認知度が年々上がり、20年前に比べてサロンも相当数増えました。
それでも名刺にフースフレーゲと銘打っていて、わかる方は残念な事に10%を切ります。
だからこそ切磋琢磨して技術を磨き、誰もが知り誰もが必要とするポピュラーな職業へと
ランクアップしていく為に、これからも日々施術に励んで参りたいと思います。

                       (有)からだ工房 会長 矢野未江子

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